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沖縄キャンプ6日目リポート 吉田孝行コーチの腕が鳴る時期
「孝行のところからボールが出たら始まりだぞ!」
前回紹介した原崎政人ヘッドコーチとともに、
手倉森誠監督の口から新しいコーチの名前がグラウンドに響く。
吉田孝行と聞いて、
1993年、10チームがJリーグ初年度に参加した。
鹿島アントラーズ
ジェフユナイテッド市原
浦和レッドダイヤモンズ
ヴェルディ川崎
横浜マリノス
横浜フリューゲルス
清水エスパルス
名古屋グランパスエイト
ガンバ大阪
サンフレッチェ広島
※チーム名は当時
「オリジナル10」と言われ、横浜フリューゲルス(以下・
だた、
2-1で勝利。優勝、そしてチーム消滅。
当時、サッカー界は驚きと悲しみに包まれた。
その決勝点をたたき込んだ選手こそ、当時21歳の吉田孝行だ。
滝川第二高校を卒業後、95年に横浜Fに加入。
チーム消滅とともに99年に横浜FMに加入後、
その大分のフィジカルコーチに、
02、
06、07年に横浜FMに復帰。
08年に地元兵庫県にあるヴィッセル神戸に移り13年まで現役を
20年間、4クラブで培ったプロキャリアの中で、
Jリーグ通算470試合に出場、86得点を記録。
現役選手として、02年に大分をJ1昇格に導いた一人でもある。
14年に神戸のアンバサダーに就任。
15年にコーチ、16年はヘッドコーチを務めると、
17年に転機が訪れる。
当時の監督解任に伴い監督に就任。
監督在任時は、イニエスタを擁したチームの指揮を取った。
その後、紆余曲折あり昨年の6月に監督を退任。
そして、今年から長崎のコーチとして、
キャンプ初日のある動きが印象的だった。
ボールを使ったフィジカルトレーニングの場面。
その時間の主責任者はフィジカルコーチだが、
練習に一拍置かれたとき、
「相手にパスをするとき、これはダメだぞ!」
とやって見せたのは、不規則バウンドをする、
「フィジカルトレーニングのときにも、
と、再びやってみせたのは、グラウンドを滑るように走るボール。
受け手だった名倉巧の足元にピタリと収まった。
練習後、フィジカルコーチのもとに行き、
「すみません。練習を止めてしまいました」
と頭をかいたが、
吉田コーチの指導者としての力量と人間性が現れている。
「キャンプ6日目を終えて、チームの雰囲気は最高です。
J1の監督経験者である吉田コーチが、
「日ごろの練習で、シュート、そしてパスの質を私も含めて、

いよいよ19日から練習試合がはじまる
そのサポートの材料の一つが練習試合。1月19日から、練習試合が組まれている。
「練習試合をするごとに課題が出てきます。その都度、
吉田コーチの腕が鳴る時期に突入した。