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2018年11月20日 高木琢也監督退任会見全文
日ごろよりクラブへのご支援、ご声援いただき誠にありがとうございます。
11月20日(火)高木琢也監督の退任会見が開かれましたのでご報告いたします。
全文は以下の通りです。
高木琢也監督よりごあいさつ
V・ファーレン長崎監督の高木琢也です。V・ファーレン長崎の監督として、そして、サッカー人として、いろいろなことを学ぶことができた長崎での6年間でした。良いときも悪いときも、温かい声援と惜しみない拍手をいただきました。
長崎県、ファンやサポーター、スポンサーのみなさんの力をいただき、6年を終えることができると今、
実感しています。本当に言葉では言い表せないくらい感謝しています。指導者として6年を歩ませていただいた
このチームに、大変お世話になりました。県民のみなさん、お世話になりました。ありがとうございました。
――6年間、地元のクラブを率いての経験と思い出を振り返ってください。
高木琢也監督(以下・高木監督)まず、自分自身が生まれ育った街のチームを率いることが決まったときは、
これ以上ない最高の時間ではありました。ただ、そういう気持ちは一瞬で、それ以降は何とかV・ファーレン長崎を
上昇させていかなくてはいけないという使命感しかなかったです。
今思うと、当時は自分自身がどういうサッカーをやっていこうかと葛藤していた時期でした。それがV・ファーレン長崎に来て、いろいろなことにトライすることによって、自分の行先が見えてきました。自分自身を成長させてくれたチームとも思います。かなりチャレンジはしてきた6年間でした。
――この6年間で、一番印象に残っているシーンは何でしょうか。
高木監督 いくつか挙げるとすれば、J1昇格を決めた試合(2017年11月11日、J2リーグ第41節 カマタマーレ讃岐戦)は劇的でした。前田(悠佑)がゴールを決めてくれて、勝つことができました。しかも、ホーム最終戦で決めてくれました。試合の前に関しては、ナイトゲームはわれわれしかない日程でしたが、他会場の状況を知らない中でミーティングをしようとしていた自分がいたというのもよく覚えています。友人から連絡が来て、勝てばJ1昇格を初めて知りました。
その流れから勝利し、J1昇格を決めて、感慨深いというか一番の思い出になりました。
あと2つ、挙げさせてもらうとV・ファーレン長崎がJ2に昇格して初年度(2013年)の第2節が、ガンバ大阪さんとの対戦でした。そのときも満員のお客さん、サポーターがいた中で結果としては3-1で敗れましたが、
「ああいうチームとこれからやっていくんだ」とチームとしても、私自身も腹をくくることができて、これからやっていくことが明確になったゲームでした。
この試合では、特に後半の選手たちの勇敢さには非常に私自身も心を打たれました。システムを3-3-3-1に変えて、とにかく下がらないポジションを取り、相手にプレッシャーをかけていきました。負けましたが、後半はほとんどゲームを支配することもできました。そこからチャレンジすることが、始まっていったのかなと思います。
もう1試合は、アウェイのサガン鳥栖(2018J1リーグ第31節、2018年11月4日)との対戦です。長崎からもたくさんの
サポーターに足を運んでいただきました。鳥栖のサポーターもたくさん入り、どちらも負けられない試合でした。
シーズン終盤で、しかも九州であのようなゲームができたということが印象に残っています。
実はコーチとも「こういう雰囲気ってすごいよな」、「こういう雰囲気で一度もやったことがない」、
「これはJ1にいないとできない雰囲気だな」ということをベンチでも話していました。もちろん、選手たちが頑張って
くれて、そのような雰囲気作りもしてくれました。そして、何よりファンやサポーターもたくさん来てくれたことが、
最高の雰囲気につながりました。
試合当日の朝、ベストアメニティスタジアムの近くをジョギングしていました。朝の6時くらいだったと思いますが、
その時点で長崎からのサポーターの方々が並んでいました。声をかけようかなとも思ったんですけど、
結局分からないように通り過ぎました。皆さんが待っている光景を見て、そこから自分自身の準備も始まりました。
いい思い出です。
――V・ファーレン長崎があることで、長崎という街も変化したと思います。
高木監督 サッカーというスポーツが、またはV・ファーレン長崎というチームが、この長崎で根を張っていって、
少しずつですけど大きくなっていく中で、サッカーの匂いがする街になってきたと、本当に感じています。
それは単に、フラッグがたくさんあるとか、われわれのポスターがいろいろなところにあるというだけではありません。
声をかけられる、年齢層や場所も含めて、たくさんの人たちが興味、関心を持ってくれているんだなということを
この6年間では感じることが多くなりました。
長くいたからこそ、そして、J2から私自身が率いることができたというのもそういう変化があることに少し、
体験できたこともあってのことなのかなと思います。実際、今年から試合前日、稲佐山の電波塔のライトアップが
ホームゲーム前にV・ファーレンカラーになっていますが、これは私の夢でもあったので毎回眺めています。
――2013年に就任当時と今のチームの変化について感じていることを教えてください。
少しずつですが、チームの中でいうと選手たちも大人になっていきます。それから、プロ選手としての自覚が
少しずつですが出てきたと思います。また、J1に昇格して分かることはたくさんあると思います。
しかし、J2だと分かることもあると思います。でも、その違いも今回、いろいろな形でクラブは経験できたと思います。
私自身も1年で降格してしまうのは責任も含めて残念なことですが、長い目で見たときにはこの経験が必ず、
生かされるクラブ、チームだと思っています。これからが本当の変化を見せていくときではないかなと思います。
――今後のチームに望むことはなんですか。
私自身、この6年間、監督という立場でV・ファーレン長崎を見ていました。チームを預かって、選手たちを育てて、
その中で良い結果を得るときもあれば、悪い結果を得るときもある。そういう生活を長くしていました。
これからはチームを離れます。離れたからこのチームを嫌いになるかというとそうではなくて、
「イチV・ファーレン長崎のファン」として見ていきたいと思います。
そういう目線で、これからこのチームを見ていきたいと思っています。
――今後もサッカーに関わっていくという考えでよろしいでしょうか。
このクラブにいたからこそ、よりサッカー人としてのエネルギーというかもっと、やりたいっていう力も湧いてきました。
これからも自分自身を信じて、そして、ここでできたことを継続しながら、反省することもありながら、
もう一度、いろいろなものにチャレンジしていきたいと思っています
――契約満了についてはどう受け止めましたか。
高木監督 まず、2つのことを思いました。1つ目は結果です。
この結果なのでやっぱり、自分の責任でもあるのはよく分かっています。ですから、自然の流れだなと。
2つ目は、私自身も選手には、年間を通して変化を常に求めてきました。変化、それから、進化。
そういうものをどんどん、求めていった中でクラブ自体も変化や進化は絶対に必要になると思っています。
私自身は、この6年間、監督を務めさせていただいて、最後の年は残念なシーズンになりましたけど、
そういう意味でも節目としては私の考える変化や進化にチームが行く時期なのではとも考えます。
契約満了は私自身、素直に受け止めることができましたし、大きな問題ではないと思っています
――2013年のV・ファーレン長崎監督就任会見で、故郷のチームを率いるにあたって「何かを残せれば」とお話しされていました。今、振り返って、何を残せたと考えますか。
高木監督 私も高校生までは長崎で育って、サッカーを学び、そして、またここでサッカーを学ばせてもらいました。
V・ファーレン長崎の監督として、学ぶだけではなく応援もしてもらうという流れの中で、1年目は絶対に落とせない
という使命感で自分に課題をもって取り組みました。そこは本当に選手たちが頑張ってくれて結果も出せました。
最終的には、J1という舞台を長崎に持ってこられたことで、長崎県のみなさんに最高の舞台を見せられたということは、
自分の中では本当に最低限のことをできたと感じます。
――監督業のやりがい、難しさは何でしょうか。
高木監督 難しいと言えば、難しいと思いますが選手あって、クラブあっての私のポジションでもあります。
もちろん、コーチングスタッフ、メディカルスタッフも含めた自分でもあります。
まず、そういう人たちのサポートがないと何もできない仕事です。よく、「監督は孤独」とおっしゃる人も
いると思いますが、僕はあまり、孤独を感じずにできたと思います。確かに、難しいこともありましたけど、
それは常に次へのステップ。それから、課題だと常に感じられる状況の中で仕事ができたということです。
コーチング、メディカルスタッフが協力してくれたおかげでそういう気持ちになれたんだなと思います。
――今年、J1リーグを監督として指揮した中で、J1に定着するために必要だと感じたことは何でしょうか。
高木監督 チームのフィロソフィーが大事なのかなと思います。フィロソフィーを体現できるチームということです。
V・ファーレン長崎はどういうチームを作るのか。どういう選手を必要とするのか。それは例えば、簡単に言うと
プレーをうまくやれればいいのか。そうではなくて、人間的にも非常に紳士でなければいけない。
そういうことをもっと考えて、これからクラブとしては作り上げていかなければいけないと思います。
ただ、それを1年では作り上げることはできませんし、では2年なのかということも難しい。J2から昇格してから
最低2年は定着していかないと、本当の意味でのJ1の体力、またはサッカーにおける戦術、個の力というのは
成長していくのは難しいと思います。2年、3年というのが続いていけば、必ず普通にJ1でも戦えるチームになっていくと思います。
――J1で戦ってみて感じた難しさは何でしょうか。
高木監督 代表選手がJ2にはいないですよね。外国人選手も含めて。それだけを見ても、J1の選手層は非常に高いし
厚いです。そういうチームと対戦する中での難しさはありました。あとは、スタジアムの雰囲気、試合展開、
試合の流れというのを1年目の新参チームはなかなか、読むことは正直言って難しい。そうなると、自分たちが
仕掛けるというのも難しい。2年、3年かかるというのはこういうところなんですよね。いろいろなことに慣れる、
本当に自分たちがイニシアチブを取って、結果を出すための慣れっていうのは3年はかかると思っています。
そういう部分でのJ1での難しさはあったかなと思います。
――契約満了による退任が決定したあと、髙田明社長とはお話されましたか。
高木監督「ごくろうさま、本当に感謝しています」という言葉をいただきました。髙田社長とは意外と近い距離で
ありながら、お忙しい方でもあって、たくさん話をすることは今まであまりなかったのですが、逆にこれからの方が
話す機会も多くできるのかなと思っています。決断といいますか、私が退任することになるということで
気にはされていましたが、「この世界はこういう世界なので、あまり気を遣わなくていいですよ」ということは
話しました。自分がやってきたことが本当に良かったな、ということを感じることができる言葉ももらいました。
今シーズン、こういう結果の中で最後まで指揮を執らせてもらうことに感謝しかありません。
みなさんに「残りの2試合は最高だったね」っていっていただけるゲームをできるように、選手たちにも今朝伝えました。
選手たちはやってくれると信じていますし、この2試合が自分の気持ちの表れたものだという試合にして、
良い去り方をしたいなと思います。
――ファン、サポーターに向けてメッセージを。
高木監督 本当に6年間、同じチームを任されることは、なかなかないことですけど、私を信じていただき
任せていただきました。まずは、このV・ファーレン長崎というチーム、そして、長きに渡って応援してくださった
ファンやサポーターの方たちには、最大限の感謝と、それから、残り2試合に全力を尽くすことで今はいっぱいです。
私もなかなか、うまく言葉が出てこなくてみなさんには申し訳ないのですが、このチームから私が去るにあたって、
これからは私自身もこのV・ファーレン長崎のファンの一人として、しっかり見守っていきたいと思います。
このチームを応援してくださった人たちと、一緒にできることもあると思います。
どうかこれからもこのV・ファーレン長崎を応援していただいて、いつか私もみなさんと一緒に応援したいなと
思っています。それくらい、このチームのファンであり続けたいなと思っています。
ありがとうございました。